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[旅気分]海界の村を歩く 東シナ海 徳之島(鹿児島県)

 
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徳之島は、鹿児島市の南南西468km、東シナ海と太平洋の接線上に浮かぶ島。徳之島の名がはじめて史書に現れるのは文武天皇3年(699年)で、度感(徳之島)がはじめて大和朝廷とつうじたとされている。徳之島には三つの間切(行政区のことで東間切、面縄間切、西目間切)に役場が置かれていた。(「シマダス」より)
徳之島の集落の見どころは石垣石塀の集落である。中でも東シナ海側の阿権は石塀が良く残る集落として知られる。高く積まれた石塀や大型の民家は、かつて栄えた村の面影を今に伝えている。
井之川集落は、薩摩藩が支配した慶長15年(1610年)から明治5年(1872年)まで天城町の湾屋と共に藩の指定港としてにぎわった。当時の徳之島には、東間切は井之川、面縄間切は縄、西目間切は湾屋と各々に御用蔵があり、下久志や母間など近隣の集落で集められた黒糖などの上納品が井之川に運ばれ、ここから大型の帆船に積み替えられて鹿児島へと送られた。一方、鹿児島からの物資も井之川から地域にもたらされた。
井之川には古い家があるかもしれないというので訪れた。数軒、木造の古民家と思われる建物を確認した。塀には珊瑚石積見られなかったが、コンクリートブロック製のものが多くいい味わいを醸していた。
島の太平洋側にある母間は、「ぼま」と読む、海岸沿いの集落。阿権に次ぐ石塀の残る集落である。生業はサトウキビ作りと漁業で、御用蔵のあった井之川港を通じて薩摩藩へ黒糖を納めていた。母間集落は海岸線に沿って広く分布しており、漁港の前後の集落の両方に見どころがある。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm

DataBase 徳之島阿権
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kagoshima_data/agon/agon.html
DataBase 徳之島母間
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kagoshima_data/boma/boma.html
DataBase 徳之島井之川
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kagoshima_data/inokawa/inokawa.html

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