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【四代目 三遊亭 圓歌】『やかん』

 
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【四代目 三遊亭 圓歌(よだいめ さんゆうてい えんか)】1959年4月8日 – )は、日本の落語家。三遊亭圓歌の当代である。本名、野間 賢(のま さとし)。落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『二つ巴』。前名は、三遊亭歌之介。

鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)神川字皆倉出身。末っ子で、兄と姉がいる。

小学校1年生の頃に両親が離婚し、母・ノキ子に連れられて兄、姉と共に夜行列車を乗り継いで当時住んでいた京都府から鹿児島県に帰った。帰郷後、ノキ子は家計を支えるために近所のラーメン屋で働いたが、「賢(歌之介)にラーメンを食べさせてあげる」と老女将の好意で御馳走になった際、「早う食もらんと(麺が)伸びるよ?」と問われた歌之介がおずおずと「このラーメン代、母ちゃんの給料から…引く?」と問い返したやり取りにいたたまれなくなり、大根占に住む母(歌之介曰く「大根占の婆っばん」)に頼んで3人を預かってもらった上で自身は大阪の紡績工場に出稼ぎに行った。大阪という遠方だった為、帰郷は二年に一度、その他には子供の内の誰かの卒業式と身内の不幸の際に帰郷していた。母が70の頃に「どうして指宿に行かなかったの?僕の子供の頃は宮崎、鹿児島は新婚旅行のメッカで、32歳(当時の母の年齢)の女性ならどこのホテルでも旅館でも雇ってくれたはず。指宿だったら一週間に一度会えたのに、遠すぎた大阪だったから二年に一度しか会えなかった。何で指宿行かなかったの?」と問うたら、「母ちゃん、知恵がなかったね。母ちゃん知恵が」と言って泣いていた。 冷え性に悩まされて6年生の頃まで夜尿症が治まらず、出稼ぎに出るまでは床に就く歌之介を抱き込むようにして両足を温めていたノキ子が不憫に思って大阪から電気あんかを贈り与えたという逸話があり、後にこれら少年期のエピソードをまとめた自伝落語『母ちゃんのアンカ』を編み出した。

大阪市立汎愛高等学校卒業後、1978年(昭和53年)3月に3代目三遊亭圓歌に弟子入りし、前座名『三遊亭歌吾』(さんゆうてい うたご)を拝命。1982年(昭和57年)5月、二つ目に昇進に際して『三遊亭きん歌』を襲名。当時、住んでいたアパートの廊下で落語独演会を催しては家賃の滞納分を支払いながら腕を磨き、1985年(昭和60年)に若手演芸大賞最優秀二つ目賞、並びにNHK新人落語コンクール入賞。1987年(昭和62年)5月、落語協会の真打昇進試験を受験して自作の新作落語『寿の春』で合格する。同年10月、18人抜きの大抜擢を受けて『三遊亭歌之介』の名で真打昇進。

1988年(昭和63年)、鹿児島県にてミニ独演会(1回30分)を1日14か所で行う。1990年(平成2年)、鹿児島県より「さつま大使」を拝命。1991年(平成3年)、国立演芸場主催花形演劇大賞で金賞を受賞する。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の際には、落語のCDを制作、売上金を全額寄付した。妻は歌之介と同じ鹿児島県出身(枕崎市出身)で、娘と息子がいる。

現在、「世界の桜を桜島に植えよう」という活動を行っている。

2018年4月22日、国立演芸場で行われた「三代目 三遊亭圓歌 一周忌追善落語会」の席上、翌2019年3月鈴本演芸場下席より4代目圓歌を襲名することが発表された。師である3代目圓歌が亡くなる前年の2016年落語協会納会で、「圓歌の名跡を歌之介に襲名させたい」との遺志が同協会長の4代目柳亭市馬へ伝えられており、3代目が死去した2017年末の協会理事会で承認を得ていたとのことである。

2019年3月21日、鈴本演芸場での襲名披露に於いて三遊亭圓歌を四代目として襲名した。またこれを機に出囃子を「われは海の子」から、先代と同じ「二つ巴」に変更した。

師匠の三代目圓歌が、亡くなる二年前から膝に痛みを抱えていた為、一人では用足しに行くのもままならず、飲む席では何時も横に座って用足しの際は付き添っていた。

芸風
着物に汗が滲むほどの熱弁で素っ頓狂な声色、大袈裟な身振り、駄洒落、ブラックジョークを駆使して自作の新作落語を演じるイメージが強いが、圓歌仕込みの古典落語もこなし、スーツ姿で漫談をすることもある。

マスメディアへの露出は少ないものの、鹿児島県では年に一度、年始に必ず鹿児島弁で演じた落語会の収録映像をテレビ放映しており、販売されているCD・テープ・ビデオは鹿児島弁のものが多い。新作落語の大半は自身の体験談に多少の脚色を加えたものであり、その体験談のほとんどが少年期にまつわるものであるため、弥が上にも鹿児島弁の多用に繋がっている。

師である3代目圓歌と長く連れ添い、深く敬愛するが故に敢えてネタに用いる事が多々あり、特徴的であった小柄な体格を揶揄するものが多い。

-用例-

「ウチん師匠の3代目圓歌、背が細めんけ身長146cmしか無かっどん。『落語界のピグミー族』ち言われちょっど」
「伊豆旅行へ行った時、『川の流れのようないい湯だったよ。お前たちも入っといで』と言われて向こうちみたら足湯じゃったが。尊敬します。足湯に40分、肩まで浸かれるんです」
「師匠の形見分けで着物をいただいた。流石は三遊亭圓歌、ええ生地のモンばっかじゃと思うたが着ちみたらどれも膝までしか無いがじゃ」(ウィキペディアより)

【あらすじ】
薬缶(やかん)は古典落語の演目の一つ。原話は、明和9年(1772年)に刊行された『鹿の子餅』の一編である「薬罐」。

主な演者には、初代三遊亭圓遊、3代目三遊亭金馬などがいる。とくに金馬は演者自身見事な薬缶頭だったこともあり、多くの人に親しまれた。

前半部分だけを抜き出し「魚根問」として演じられることもある。

岩田の隠居がお茶を飲んでいると、そこへ八五郎がやってくる。

「おぉ、現れたなグシャ」
「へぇ」
「マァ、上がれグシャ。お茶でもどうだグシャ」
「な、何ですか、その『グシャ・グシャ』っていうのは。ぬかるみを歩いているんじゃ無いんですから」
「あぁ、グシャとは愚か者の事だ、愚者」
「愚か者…そうですか。おれぁそんな事とは気づかず返事しちゃった」

カチンとなった八五郎。如何してやろうかと考え込み、あるアイディアが…。

「隠居は、何でも知っているんですねぇ」
「その通りだ。森羅万象・神社仏閣、この世に知らぬものは無い」
「そうですか。じゃあ聞きますがね…」

のっぴきらない状況に追い込み、八五郎の逆襲が始まった。

ーいろいろ根問いー
まずは、お魚の由来で小手調べ。

「じゃあ、魚の名前なんかどうです? まずは『マグロ』」
「真っ黒だからマクロだ」

「『コチ』は?」
「こっちへ泳いでくるからコチだ」
「向こうへ行く事もあるでしょ?」
「お前が向こうに回ればコチになる」

「じゃあ、『平目』は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「詰まんない事聞いちゃったな。じゃあ『鰈』は? カレーライスなんて言ったら怒りますよ?」
「うーん、あれはヒラメの家来で、家令をしている」

「『鰻』は?」
「昔はヌルヌルしていたのでヌルといった。あるとき鵜がヌルをのみ込んで、大きいので全部のめず四苦八苦」
「へぇ」
「鵜が難儀したから、鵜、難儀、鵜、難儀、鵜難儀でウナギだ」

「ウーン…。じゃあ、『鰯』は?」
「イワシは『下魚』といわれるが、あれで魚仲間ではなかなか勢力がある。だから鰯が魚たちの名付け親になったんだ」
「ですから、その鰯自身は誰が名づけたんですか?」
「うー。ほかの魚が名をもらった礼に来て、「ところであなたの名は?」と尋ねられて「わしのことは、どうでも言わっし」と答えた。これでイワシだ」

「では、次は日用品ではどうでしょうか? まず『土瓶』」
「土でこさえた瓶だから土瓶。鉄で作れば鉄瓶だ」
「『茶碗』は?」
「置くとちゃわんと動かないから茶碗だ」

「手ごわいな。じゃあ『薬缶』は?」
「や(矢)で出来て…いないか」 隠居はダンマリ。八五郎はニマニマ…。

ー薬缶の講釈ー
「答えてやろう。昔は…」
「ノロと言いました?」
「いや、これは『水わかし』といった」
「それをいうなら『湯わかし』でしょ」
「水を沸かして、初めて湯になるのではないのか?」
「はあ、それで、なぜ水わかしがやかんになったんで?」
「これには物語がある」

川中島の合戦で、片方が夜討ちをかけた。
かけられた方は不意をつかれて大混乱。

ある若武者が自分の兜をかぶろうと、枕元を見たが何故かない。
あるのは水わかしだけ。そこで湯を捨て、兜の代わりにかぶった。

この若武者が強く、敵の直中に突っ込む。
敵が一斉に矢を放つと、水わかしに当たってカーンという音。

「矢があたって…」
「矢が当たってカーン…だから薬缶か」
「その通りだ」
「でも、蓋が邪魔になりませんか?」
「ボッチをくわえて面の代わりだ」
「つるは?」
「顎へかけて緒の代わり」
「じゃあ薬缶の口…」
「昔の合戦には『名乗り』があった。聞こえないと困るから、穴があったほうが好都合だ」
「あれ、かぶったら下を向きます。上を向かなきゃ聞こえない」
「その日は大雨。上を向いたら、雨が入ってきて中耳炎になる」
「耳なら両方ありそうなもんだ」
「ない方は、枕をつけて寝る方だ」(ウィキペディアより)

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